天草のいたるところで目にする&耳にする「鈴木さま」。
といっても、天草市の苗字ランキングの上位は、
「山下さん」「田中さん」「松本さん」ですし、
上天草市の苗字ランキングの上位は
「山下さん」「渡辺さん」「松本さん」。
苓北町の上位は
「宮崎さん」「田中さん」「錦戸さん」なので。
どうやら、表札の話でもなさそうです。
さて、いったいどういうことなのか!?
このお話は、今から350年ほど前にさかのぼります。
島原・天草一揆後の天草は天領へ。
初代代官、鈴木重成
日本最大にして最後の一揆と言われる、1637年の「島原・天草一揆」。多くの犠牲者を出したこの戦いの後、天草は幕府直轄の天領となりました。初代天草代官として着任した鈴木重成は、富岡城の代官所を拠点とし、天草の復興に取り掛かります。重成は天草を10組・86ヶ村に分割し、大庄屋や庄屋を配置。一揆で人口が減少し、荒れ果てていた地域には近隣からの移住者を招き入れ、農業や漁業の活性化にも取り組みました。
さらに、一揆によってすさんだ人々の心の安定を図るため、僧侶である兄・鈴木正三を天草へ呼び、島内各地に次々と神社や仏閣を整備したのです。こうしてつくられた「天草四ヶ本寺」をはじめとする社寺は、キリスト教に変わる新たな心の拠りどころとなりました。
石高半減!それは命がけの訴えだった
復興の兆しが見えてきた天草でしたが、定められた石高4万2千石には到底及びません。あらためて検地を行った重成は、無謀な重税の事実に気づきました。以前この地を治めていた唐津藩の寺沢氏は、自らの国力を強く見せるために、天草で取れる米の倍以上の石高を申請していたのです。不当な年貢の要求に苦しみ抜いた農民たちの不満が、「島原・天草一揆」の一因となったことを感じた重成は、幕府に年貢の半減を嘆願しますが、その願いは容易には聞き入れられませんでした。重成は建白書を遺し、江戸の自宅で切腹(※諸説あります)。二代目代官となった甥の重辰の度重なる訴えもあり、7年後にようやく石高半減の通知が下されました。
命がけで島民を守った鈴木重成を偲び、天草の人々は東向寺の一角に遺髪塚をつくりました。のちに天草の30数カ所に分祀された塚は「鈴木さま」として親しまれるようになりました。また、最初の遺髪塚には「鈴木神社」が建立され、今も人々の信仰を集めています。
実は先日、熊本市内のとある催事場で愛知からお越しのお客様とお話をする機会がありました。その方はなんと、鈴木正山の子孫とおっしゃる方。自分のルーツにふれたくて、「鈴木神社」に参拝するためにわざわざ天草へお越しになったそう。「天草信用金庫前の鈴木三像の前で記念写真撮ってきたのよ!」と嬉しそうに教えてくださったので、その前の週に出かけた河浦町の「鈴木塚」の写真をご覧いただきました。
お話しながら、天草の人たちにとって鈴木様がどんな大きな存在であったのか、今を生きる人たちがどんな思いでこの塚を守り続けているのかに、あらためて思いを馳せた次第です。
キュートな絵馬を発見!
その名も「だるま絵馬」
ところで。「鈴木神社」の拝殿でかわいい絵馬を見つけました。その名も「だるま絵馬」。いかにもご利益がありそうなネーミングです。ずらりと並ぶ風景がなんとも愛らしくって、思わず写真を撮りました。いわゆるインスタ映えする絵馬というやつでしょうか。
たしか、だるまの流儀って願いを込めて片目を入れ、願いが叶ったらもう片方の目を描くのでしたよね?両目が書かれたものもあるので、お礼参りにいらしたのかしら?などとも想像を。あらゆる物事にご利益のあるといわれる神社です。天草を訪れた際にはぜひ、参拝してみてください。
鈴木様への感謝を込めて
「鈴木様割引」を実施している
島内の店や宿があるのかないのかわかりませんが
全国の鈴木様のご来島も、心からお待ちしています。
(※鈴木様ご優待企画をなさっている天草の事業者さんがいらしたら教えてください。追記します)
鈴木神社
住/天草市船之尾町
☎︎/0969-22-1111(天草市商工観光課)