このまま簡便さの上にあぐらをかいて生きていていいのか?
ここ数年の気候変動を前に、自問自答を繰り返しています。
アスファルトで蓋をされた都市部の暮らしは
もともと肌に合わないのだけれど
人の愚かさと、もろさと、たくましさと優しさと。
自然の強さとはかなさと。
本気で向き合わなければ。変わらねば。
史実に基づく映画「MINAMATA」を見ながら
今日もあらためて、そんなことを感じていました。
怒りを持ち続けるよりも、手放す方が本当はずっと生きやすい。
けれど、あえて闘い続けるのは、家族のためであり
未来に遺恨をのこさぬためであり、
地球規模で、過ちを繰り返さないためでもあるのだと感じました。
その覚悟は、さまざまな形で受けつがれているようにも思います。
日本の高度経済成長の裏側で起きていたのは、メチル水銀による公害でした。たくさんの人が傷つき、分断された歴史は、まだまだ歴史と呼ぶには真新しい気もします。水俣には今も、多くの苦しみを抱えて暮らす人がいます。一方で、その事実から目をそらさず、「人の手で汚した自然は、人の手で還す」という信念のもとどっしりと根をはって暮らす人が多い土地でもあります。その想いや在り方にふれるたび、心がふるえ、大切なことを学ばせていただくのです。
私の目に見える現在の水俣は
そんな場所。
たくさんのつくり手さんや、暮らしの達人たちが、日々の営みを極めることで取り戻した美しい海は今、多様な生きものを育む場所となり、環不知火海として接する対岸の天草の暮らしもまた、こうした営みの元に支えられています。この地の歴史が生み出した、人と暮らしの奥深さ。ゆたかな森と、里と、海。この地で育まれる、おいしくすこやかな食。そのひとつひとつに敬意を感じながら、今夜は水俣のお茶を一服、いただきました。
さて、明日はどう生きようか。