カノコユリの咲く丘で。

あざやかなピンクのグラデに赤い斑点。鹿の子を思わせる模様からカノコユリ と名付けられたこの花が、こんなにも愛おしく思えたのは、初めてでした。

「こん花こそ、西平の象徴として、大切に守っていかんばならんと思うとっと」「ユリはマドンナリリーっていうて、聖母マリア様を象徴する花でもあるけんね」。そんな言葉を聞いたのは、昨年のちょうど今頃だったでしょうか。先祖代々、守り続ける集落の風景。かつてはこの丘にもたくさん自生していたそうですが、近年増加するイノシシによる食害で、一時はかなり激減していました。

群生地よ、再び!

そこで昨年から、有志のみんなで群生地周辺のイノシシ対策を講じ、こまめな草刈りなどを続けることになりました。私も足を運ぶたび、葉っぱが元気に芽吹いていることを確認してはいたものの、無事に花の時期を迎えられるだろうかと内心、ハラハラ。でもどうやらこの夏は、少しずつその策が実り始めている様子。

先週の金曜、茶畑の草刈りがてらに出かけてみると、去年はちらほらと咲いていたエリアでも、いくつかの群生ポイントが見られるようになっていました。水平線を背景にしたシルエットの美しいことといったら!

「もし美しさにおいて最高のものがあるとすれば、それは間違いなくこの花である」そんな言葉とともに、ヨーロッパへカノコユリ を持ち帰ったというシーボルトの気持ちがなんとなくわかる気がします。

(※この地のアイデンティティとして、みんなで大切に見守り育む植物でもあるので、盗掘や採取はくれぐれもご遠慮ください。おなじ「トル 」でも「撮る」は大歓迎ですよ!^_−☆)

シーボルトが愛したカノコユリ

「シーボルト 日本植物誌」より抜粋

ところで、「美しさにおいて最高の〜」と語ったシーボルトは、ドイツ人医師で博物学者でもある人物です。1823年、まだ鎖国が続いていた日本へ来日し、長崎・出島の商館の専属医師となりました。医療に携わる傍らで、西洋医学を教える塾を開き、多くの日本人医師や学者を輩出したといいます。また、特別に出島からの外出を許可されていたシーボルト は自ら植物を採取したり、門弟たちに肥後や筑前のめずらしい植物を集めさせ、標本を作成。さらに、出島の一角に植物園を設け、1400種類以上の有用植物や鑑賞用植物を栽培しました。帰国後、したためた「FROLA JAPONICA/日本植物誌」には、そのうち151種類の植物が、詳細な絵と解説つきで紹介されています。

また、シーボルト はヨーロッパへ帰国する際、いくつかの植物の種子や球根を持ち帰っていました。そのうちのひとつが、カノコユリ の鱗茎でした。長い航海を経てたどり着いたヨーロッパの地で、無事に花開いたカノコユリ 。18〜19世紀にかけてさまざまな植物探検家や植物商たちによって見出されたテッポウユリやヤマユリなどとともに、ヨーロッパのユリブームに拍車をかけたともいわれています。

日本では現在、甑島に日本最大の群生地が存在。そのほか、長崎や天草、鹿児島の海辺の土壌にも自生地が点在しています。九州の西岸といえば、南蛮文化や港町の文化でつながるエリア。そうした旅の彩りにも楽しんでいただけそうです。
「みんなで頑張って群生地を蘇らせることができたら、カノコユリ の咲く丘でティーパーティでもしましょうね」と話した去年の会話を、夢物語で終わらせるのはもったいない!きっともっと群生が広がるであろう来年の花の時季には、そんな場をつくりたいと思います。もしも今夏、ご覧になりたい方はご案内しますのでお声掛けくださいね!