16世紀の半ば、天草に伝来したキリスト教は、繁栄・弾圧・潜伏・復活の流れをたどり、天草の祈りの文化のひとつとなりました。キリスト教や仏教、神道、修験道、そして自然信仰など、長い歴史の中でさまざまな祈りの文化が混じり合い、共生し合うことになった天草。天草下島の﨑津集落で、その歴史の一端にふれることのできる、御朱印帳が誕生しました。
世界遺産としての﨑津集落
2018年6月30日、「長崎と天草地方のキリスト教関連遺産」の構成資産のひとつとしてユネスコの世界文化遺産に登録された天草下島の﨑津集落。中世には外国船が出入りするなど、貿易や流通の拠点として栄えた港町です。室町時代、天草に南蛮文化とともにキリスト教が伝来すると、この地にもたくさんの信徒が生まれました。ところが、江戸期に入って幕府によるキリシタン禁教令が出されると、信徒の日常は大きく様変わりします。厳しい弾圧に耐えかねて棄教する人もいれば、表面上は神道や仏教徒を装いながら、ひそかにキリスト教の信仰を続ける人もいました。のちに「潜伏キリシタン」と呼ばれるようになった彼らは、神社の境内で「あんめんりうす」とオラショ(祈りの言葉)を唱えたり、漁業の神として祭られた「えびす」像をデウスとして崇拝したり、アワビの貝殻の内側に現れる模様を聖母マリアになぞらえるなどして、それぞれの祈りをつづけたといいます。今回の世界文化遺産登録が「﨑津教会」単体ではなく、「﨑津集落」としての登録なのは、こうした祈りの文化と営みのあり方に価値が見いだされたことによるものです。
(※禁教が解かれた後でカトリックに復帰した人を「潜伏キリシタン」、復帰せず独自の信仰を続けた人を「かくれキリシタン」と呼びます。なお、天草では昭和30年代にすべてがカトリックに復帰または改宗したそうです)
神道、仏教、キリスト教。宗派を超えたつながり
集落に点在する神社や仏閣との共生も、天草のキリシタンの特徴です。隣り合う家と家で宗教が違うのは当たり前。「﨑津諏訪神社」のお祭りや、「﨑津教会」の霜月祭(クリスマス)など、なにか行事があるたびに家々で作ったごちそうをおすそわけし合うこともしばしばです。集落を見下ろす山の斜面に広がる墓地には、仏教徒の記章である「卍」が刻まれた墓石があったり、キリスト教の記章である「十字架」が刻まれている墓石があったり。生きている間だけでなく、死後の世界でも、宗教を超えたゆるやかなつながりを保っているようで、平和な光景に不思議とほのぼのするのです。
カトリック教会の御朱印!?三宗派の御朱印が並ぶ御朱印帳。
﨑津集落を散策するなかで「﨑津教会」や「﨑津諏訪神社」と合わせて立ち寄りたいのが、共同墓地の下にある「鶴林山 普應軒(ふおうけん)」。ここは、元禄年間(江戸時代中期)に創建された曹洞宗のお寺で、釈迦如来が祀られています。
ここで今、話題になっているのが「﨑津三宗派御朱印帳」です。キリスト教と、仏教と、神道という、3つの異なる宗派の御朱印を一冊の御朱印帳としていただけるというもの。キリスト教に御朱印制度はありませんから、おそらく世界でも唯一のものではないでしょうか?
手持ちの御朱印帳ではなく、特別な台紙でお渡しする理由
御朱印コレクターの皆様のなかには、ご自身のお集めになっている御朱印帳に押して欲しい!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。でも、さまざまな祈りの文化が混じり合い、認め合い、共生し合うことになった天草・﨑津の祈りの歴史を振り返ると、3つの御朱印がひとところに並ぶことに意味があるのだとも思います。まさに愛と平和と幸福の象徴。どうか、その背景に思いを馳せて、いただいてみてください。
なお、週末は﨑津集落のなかは歩行者天国になっています。トンネルを抜けてすぐの場所にある「道の駅 﨑津集落ガイダンスセンター」か、「﨑津漁協直営 きんつ市場」側の駐車場に車を停めて、ゆっくり歩いてみてください。なお、夏場は暑さ対策も必須!早朝と、15時以降は道も日陰になりますが、日中は日差しが強いので、日傘や帽子もお忘れなく。
三宗派御朱印帳についての問い合わせ
☎0969-23-3276(天草みなの宗巡礼センター)
鶴林山 普應軒(ふおうけん)
住/天草市河浦町崎津342
☎/ 0969-79-0383
御朱印受付時間/10時〜17時