天草の里山「大宮地」を歩く。

湯処を持つ里山の「碇石」、獅子島や長島へのフェリー航路を持つ「中田」、竜洞山や酒蔵など観光資源を持つ「小宮地」、セドワをはじめ漁村の風情が光る「大多尾」、水と人の営みが息づく「大宮地」など、さまざまな魅力をもつ天草市新和町。

地図画像は、天草市移住定住サイト「あまくさライフ」より転載

不知火海に面した東海岸の穏やかな里山里海の日常は、東シナ海に面した躍動感あふれる西海岸のそれとは対照的で、訪れるたび&暮らしを垣間見るたびに、魅了されていくこの頃です。なかでも昨日は、「ハマボウ群生地」や「神掛けの滝」があることで知られる大宮地集落をフットパス(※)的視点のモニターツアーで歩かせていただきました。

山陰の家の屋根には数日前の雪がかすかに残り、ぽたりぽたりと落ちる雪解け水の音に耳を澄ませ。まちのそこここで感じる、しずかな祈りに心を澄ませ。日本の里山の原風景に癒された午後。

天満宮に手を合わせ、八幡宮に手を合わせ、薬師堂に手を合わせ、五輪の塔に手を合わせ、山の神に手を合わせ。気づけば、ポケットのなかの小銭はすべてお賽銭として消えていましたが、心はとても満たされていました。

戦国時代の天草を治め、キリスト教がもたらされるきっかけをつくった地元豪族「天草五人衆」は、天草史ではよく聞くワードですが。その一昔前、室町・鎌倉時代の天草には8人の豪族がいて、八人衆とも呼ばれていたそうです。そのうち、宮路氏/宮地氏が治めていたのが今の新和町(大宮地・小宮地・宮地浦)あたり。仏教信仰のあつかった宮路氏の影響で、この一帯には仏教関連の建築物も多く点在しています。昨日は、天草最古ともいわれる「五輪の塔」や「薬師堂」などに出会うことができました。

大宮地川のなかに並べられた「飛び石」は、「島原・天草一揆」後に天草が幕府直轄の天領となったとき、富岡代官所へ年貢を納めるためにつくられた道のなごりだそう。かつては、石の上に木の橋桁が置かれ、本渡へつながる唯一の道として活用されていたそうですが、道路整備が進んだ今は橋桁もなくなっています。

下地区で、道向かいの畑からフダンソウを摘んできたばかりのお母さんとひとしきり立ち話。「昔は今頃、アオノリが出よったけど、最近は3月頃にならんとでらんもんね。ここら辺はシロウオも獲れるとよ。ほら、あそこで今、シロウオ漁の準備ばしよらすでしょ。そん下のとこには飛び石があってね。山の神に参りに行く時は、飛び石を渡っていきよったけど、何年か前の大水で流されてしもうたもんね」。お母さんの指の先を見上げると、きりたつ山の木立のなかにぽっかりと空間があき、赤い鳥居が見えました。「最近は私もとんと上がりきらんごとなったけど、中村部落の人たちが役を持って守ってくれとらす」という一言に、くらしの中にある祈りを、垣間見た気がしました。

※「フットパス」とは、イギリスを発祥とする『森林や田園地帯、古い街並みなど地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くこと【Foot】ができる小径(こみち)【Path】』のこと。地域の魅力を地域自身が再発見・創造し、それをウォーキングを中心にした現地での体験・交流の中で来訪客に感じていただく、地域・観光のあり方としても注目されています。ありのままの風景を楽しむことを主眼として整備・修景するため、交通インフラや施設整備への大きな負担がなく、多くの地域において応用可能な地域振興・地域活性化策になりうるとも言われています。


天草諸島は「いそがない旅」が似合う島。

「walkers are welcome」「cyclist are welcome」を合言葉に

まだ知らない天草、天草の中のNIPPONに出会える道を、
地域の皆さんとともに少しずつ見つけていけたらとも思っています。

帰りしな、碇石集落にある「天草ゆ楽園」でしっかりあたたまりました。
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