レトロ可愛い街並みが語る歴史

天草で採れる鉱物はいくつかありますが、なかでも無煙炭
は炭化度が高く、ほとんど煙を出さないことで重宝されて
いたそうです。明治から昭和にかけて、天草下島内には十
数ヶ所の炭鉱が点在していたといい、その周辺のまちは炭
鉱景気に沸いていました。河浦町もそのひとつです。
明治
期に地元の有志が掘り当てた炭坑は、長崎や門司、下関の
有志らの助力によって、岐阜の高山の旦那衆と呼ばれた豪
商・田中半十郎の息子 田中栄蔵に引き継がれ、「旭炭鉱」
として事業化されました。

明治の終わりになるとようやくその質の良さが認められ、
日本海軍の御用炭として治められるようになった旭炭鉱の
無煙炭。宮地岳から一町田、富津村(現在の﨑津界隈)に
かけて広がる鉱区は272万坪を超え、最盛期は200人以上
の鉱夫が集まって採掘を行ったといいます。のちには煉炭
として加工が施され、家庭用の燃料として販路を拡大して
いきました。

まだ車もない時代。炭を運ぶ手段として用いられたのが、
トロッコです。坑口のある今田地区から、一町田を抜け、
当時積み出し港のあった小島の港へつづく道にはレール
がひかれ、その上を馬がひくトロッコが走っていたとい
います。

今田地区にある轟橋。清らかな水が流れ、木漏れ日と石橋のコントラストが美しい

今村地区にある「轟橋」は、トロッコ道としてつくられ
たもの。上を走るだけでは気づきませんが、木立のなか
の東屋からは、見事な石のアーチを見ることができます。
木漏れ日とのコントラストが美しく、天草の隠れた絶景
のひとつです。

昭和10年頃の一町田の街並み。右手の木造建築は銀行として開業し、現在は写真館として受け継がれている

一町田地区の「山口屋旅館」の壁面に掲げられていた昭
和10年頃の一町田地区の写真には、「大正9年旭炭鉱の
トロッコ線路と共に開通し、家並みを形成した」とあり
ます。この界隈の広くまっすぐな道路と、その両側に立
ち並ぶハイカラな建物は、炭鉱まちとして賑わった往時
の繁栄を伝えるものでもあります。

 

上の写真とほぼ同じところから撮った令和元年の一町田。町割に当時の名残を見ることができます


界隈には、毎年7月の第3日曜に行われる「虫追い祭り」
の一町田八幡宮や、天草の南蛮文化の象徴でもあるコレ
ジオ跡といった歴史スポットも点在しています。レトロ
な街並みをランブリングしてみると、ひとときの時間旅
行を楽しめます。


先にのせた一町田の街並みで、銀行として創業していた
木造建築は、写真館として引き継がれ、往時の面影をの
こしています。

かつてのトロッコ道から一本路地に入ると、さらに懐か
しい風景がザクザク登場!レトロ好きにはたまりません。

鳥居から続くのは、一町田八幡宮へとつづく参道です。
江戸時代に創建されたのは、一町田川沿いでしたが、
川の氾濫で水害に遭うことが多かったため、大正9年に
現在の地へ遷移されました。

 

屋根の葺き替えに伴う、リフォーム工事中。工具も
心なしかレトロで魅せられます。

 

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