信者の手で蘇った大江教会/後編

86年ぶりの改修工事を終え、装いもあらたになった大江教会。今回の改修工事を手がけたのは、長崎で数々の教会改修を手がける「川康建設」。采配を振るった代表の川口康さんは大江出身で、幼い頃から大江教会に通い続ける信者でもあります。引き渡し式を終えたばかりの川口さんに、お話を伺いました。
(前編はこちら→


ー今回の改修工事で、一番大変だったことは?

これまでたくさんの教会改修に携わってきましたが、今回は特に考えることの多い工事でした。一番大変だったのは、窓です。色ガラスの鉄枠のサビがひどく、補修した窓は全部で38にのぼります。フレームもガラスもすべて特注で、かなりの手間ひまがかかっていますが、“いかにもやりました”とわかるようでは、よくありません。特に、大江教会の信者さんはお年寄りも多いので、それぞれの思い入れもあるでしょう。みんなの記憶のなかにある教会と違和感のないように造らなければならないと思いました。



しかも、天草は台風が多い土地ですから、強度も必要です。台風が来ても雨漏りがしないよう、形やサイズを微調整しながら、何度も試作と協議を重ねました。なにせ80年以上も前に手づくりされたものなので、設計図通りでないところもありました。実際に外してみてわかったことも、たくさんあります。限られた予算のなかで強度を満たし、信者さんたちの記憶に近いものにするため、ガラス工房のある山口県と天草を何度も行き来し、ようやくしっくりくるものができたときにはホッとしました。


屋根の上の十字架も根元が外れかかっていたので、アンカーを打ち直して固定。鼻の先をはつり、老朽化がひどかった床は地元の大工さんに補修をしてもらいました。外壁や屋根も創建当時の雰囲気に近い色に塗り直すなど、当初の想定以上に大掛かりな工事になりましたが、事故もなくこの日を迎えられたことに安堵し、感謝しています。


「自分の来し方を何度も黙想した」

ー今回の改修は、川口さんにとってどのようなものでしたか?

大江は、中学を卒業するまで暮らした故郷です。家族や親戚、たくさんの隣人たちの祈りが詰まった教会の改修を、まさか自分が手がけるとは思いもよりませんでした。それほど、今回の改修工事は私にとって大きな出来事でもあり、人生を振り返りながら向き合う仕事になりました。

自分の生きる道。信仰のためにどうすればいいのか。自分の来し方(こしかた)を、何度も黙想しました。ましてや、生まれ故郷ですから。自分は本当に神様の前で堂々と宣言できるのか?自分がこの仕事に値するのかどうか?深く考えましたね。



自分の故郷の仕事をするって、一番難しいんですよ。だって、知り合いがいっぱいいるでしょう?おじさんやおばさんから、“鼻タレのお前にできるのか?”って言われるのがわかっているから。天子さま、つまりイエス様だって生まれ故郷では“大工の息子”と呼ばれたと聖書にあるほどです。生まれ故郷では、預言者も誰も、信用を得るのは難しい。プレッシャーを感じる仕事でした。


ー建設当時もガルニエ神父が自らの財産をなげうち、信者たちも土地や資材、労力を持ち寄ったと聞きます。

建設にかけるお金がない分、当時の信者さんたちがみんなで協力して土地を持ち寄り、資材を揃え、労働奉仕をしながらつくった教会だというのは幼い頃から聞かされてきました。だからこそ、感じる重責もありました。昔のままにつくろうとすると莫大なお金が必要ですが、予算は限られています。といって、変えてしまうのはよくありません。できる限りを尽くし、違和感のないようにつくりたい。それは、今の信者さんだけでなく、ガルニエ神父や、先人たちへの思いでもありました。



一方で、我々は誇りをもってこの仕事を成し遂げられる、という自負があったのも事実です。 今回の改修にあたり、数々の教会の改修を手がけてきたスタッフたちに加え、天草の専門業種の人たちの手を借りることができたというのがその理由。ましてや、この地にのこって教会を守ってきてくれた同級生たちもいる。何よりも心強く、ありがたい仕事になりました。



Scroll Up